公益財団法人三菱UFJ信託奨学財団

山室宗文氏について

山室宗文氏について


山室宗文氏
昭和11年6月~20年10月
三菱信託取締役社長
(昭和18年6月以前は取締役会長)

山室宗文氏の経歴については、「三菱信託銀行60年史」に次のような記述があります。(以下同書から一部抜粋)

明治40年東京帝国大学法科大学を卒業し、英米に留学した後、明治43年9月三菱合資会社銀行部に入り、銀行部業務課支配役、紐育支店長等を経て、大正12年9月三菱銀行取締役に就き、昭和4年9月には同行常務取締役に就任。
昭和10年12月27日三菱信託株式会社の取締役に就任し昭和11年6月25日会長に就任。

終戦直後のGHQの占領政策により三菱財閥は解体することとなり、昭和20年10月31日山室社長をはじめとする経営陣が退任しました。
山室宗文社長は、退陣に際して「三菱は解体する。しかし、その精神的つながりは切崩すことはできない。国家の利益と民衆の福祉を目的とする精神を失わず、働いていってほしい」と述べたとのことです。

明治13年10月21日生まれ
昭和25年6月28日逝去。享年69歳。

山室宗文氏の著作は多くありますが、一部をあげると次のとおりです。

「社債論」 明治44年 有斐閣書房 (左の写真)
「我国の金融市場」 大正15年 日本評論社
「昭和二年の金融恐慌に就て(Financial Panic of 1927 in Japan)」 昭和2年 国民経済雑誌/神戸高等商業学校商業研究所(編)
「我国の金融市場 続編」 昭和3年 日本評論社
「金解禁を中心とせる我国経済及金融」(経済学全集第46巻) 昭和6年 改造社
「我財界の現状と其対策」 昭和7年
「世界経済の動向と金本位制の将来」(経済学全集第55巻) 昭和8年 改造社

また、新聞などに発表された論文の一部に次のようなものがあります。

「財界立直りの好機(上・中・下)」 大阪朝日新聞 1925.1.12-1925.1.14
「電気事業と金融市場(1~7)」 大阪時事新報 1927.2.26~1927.3.11
「財界の前途 物価、為替、金利の動向」 神戸又新日報 1933.1.28~1933.1.29
飛躍的段階から平常的活動へ (上) : 「転機に立つ本年の財界」 時事新報 1935.1.1-1935.1.3